山口市 腰の痛み・膝の痛み・関節の痛み・リウマチ治療・スポーツ障害なら大野整形外科リウマチ科

痛みやしびれなどのお困りの症状を気軽に相談でき、患者さんの生活が良くなる
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山口市大野整形外科リウマチ科からのお知らせ

 西井医師が月2回診療します。 (22. 9.28)
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 お待たせしないためには・・予約後の来院時間について
診察は 予約番号の早い方 から行います。以下の時間帯を目安にご来院ください。
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午 前 午 後
来院目安時間 予約番号 来院目安時間 予約番号
8:30~ 101~ 14:30~ 201~
9:30~ 120~ 15:30~ 220~
10:30~ 130~ 16:30~ 230~
11:30~ 140~



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開院のご挨拶

  

あなたはこんな痛みを我慢してはいませんか

その痛み、大野整形外科リウマチ科におまかせください!

大野院長からあなたへのメッセージ

大野整形外科リウマチ科院長

院長 大野 雅則

日本整形外科学会 整形外科専門医
認定リウマチ医
認定スポーツ医
日本リウマチ学会 リウマチ専門医
日本リウマチ財団登録医
医学博士

「縁」


私は島根県の出身です。

生まれも育ちも島根県広瀬町で山と川豊な土地で育ちました。 中学を卒業し島根の県庁所在地である松江市の高校に「汽車」で通いました。少しだけ都会に接し始めました。

高校は、「知られざる日本の面影」、「怪談」などの著作で有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の住居(ヘルン旧居)の直ぐ近くにありました。 1年生の時の教室からは、平成27年国宝に指定された松江城(当時は国の重要文化財)の天守閣が見えます。 質素で武骨な大天守を500m先に見ながら授業を受けられるという、お城マニア垂涎の恵まれた環境でした。

高校の近くには、松江藩七代藩主、松平治郷(はるさと、号を不昧という)ゆかりの茶室明々庵があり、城山を囲むお堀の豊な水と緑に囲まれた素晴らしい場所で高校時代と浪人時代を過ごしました。 松江城は元々、月山富田城(現安来市広瀬町)に入城した堀尾氏が松江市内に移したものと言われています。 戦国時代には月山富田城は山陰地方から山陽まで治めた尼子氏の居城でありましたが安芸の毛利元就の攻撃を受け落城しました。

私は大学を卒業し医師となってから、鳥取、兵庫などの病院に勤務し大学院を卒業した平成13年春に山口県長門市に赴任してきました。 高速道路を使っても車で島根から6時間弱はかかっていたでしょうか、随分遠くに来たものだと思いました。

長門での生活が少し落ち着いて隣の萩市に行ってみれば、天守はありませんが萩のお城跡がありました。 よくよく考えれば、萩は毛利のお殿様の居城があった場所。 尼子家ゆかりの地出身である私は、山口に来たのも何かのつながり「縁」があってのことであろうと思いました。

長門では7年半過ごしました。山口に赴任した当初は、2?3年したら大学医局の人事で今度は島根に帰ることになるだろうとタカをくくっていました。 しかし、なかなか大学からは声がかからず、山口の生活に慣れてきました。

山口には島根・鳥取には無い交通の便利さがありました。 新幹線は走っていますし、高速道路で東の広島、西の福岡まで気軽に遊びに行けます。さらに、島根・鳥取に比べて冬の気候が温暖で曇天の山陰地方の冬とは大違いです。 気温も随分と違いました。

兵庫北部の「雪国」出身の家内も山口の冬の気候を体験して、あまり島根だ鳥取だと言わなくなりました。 3歳前と1歳前で来た2人の子供も、「(なんとか)だそ・・」としゃべりだし、だんだんと「山口の子」になってきました。

赴任当時に患者さんの発する「いぐしり悪りぃ」「めんたし」を地元の看護師さんに同時通訳してもらい、およそ山口の言葉には馴染めないであろうと思われた私が、「それいねぇ、それいねぇ?」「しちょる」と、おじいさん、おばあさんと普通に会話できるようになりました。 そして山口に家を建てようと夫婦で決めました。振り返ってみると、山口との「縁」は・・・

確か小学3年か4年の時、夏休みで母親と弟で母の実家に行っていました。その時に母の実家の伯父家族と一緒に突然山口に行こうという話になりました。 ワンボックスカーで島根から山口市まで行き、泊まるところは湯田温泉の旅館案内所で勧められた旅館だった様な気がします。翌日は秋吉台あたりまで行ったでしょうか?サファリパークには行った記憶があります。 私の実家にその時に買った球状のオニキスの石の置物が置いてあったのを覚えています。 その後、帰宅すると父親がとても不機嫌で1週間くらい夫婦冷戦でした。 子供ながらとても居心地が悪かったのを覚えています。

実は浪人していた時の大学受験に山口に来ています。 高校の時、3年間一緒に汽車で通学していた友人が山口大学人文学部に入学していて、私が山口大学医学部の試験を受けた時に泊めてもらいました。 多分平川のJA辺りの下宿だったと思います。

30年後にその近くに私が家を建てるとは不思議な「縁」です。受験日に宇部まで車で送ってもらいましたが、広い大きな高速道路のような一般道にびっくりしていました。 確か友達が「山口は政治家がいっぱいいるから」という様なことを言っていました。

大学受験は・・・おかげさまで合格しました!大学入学後、バレーの中国地区リーグ3部の大会が山口市でありました。 その時には湯田温泉の国民宿舎に泊まり、会場は宮野の方に行ったような記憶があります。県立大学の体育館だったと思います。 試合後は国道9号線をゆっくり車で鳥取まで帰ったのを覚えています。

それほど山口に強い「縁」があったわけでも無さそうですが、子供が山口で大きくなり、家族4人の基盤が出来上がったのが山口でした。 長男の私は一応跡取りを考えるべきなのでしょうが、仕事柄転勤も多く、とうとう親の期待を裏切って遠くに住まいを構えてしましました。

親には悪いことをした、寂しい思いをさせていると未だに思うことがあります。 しかし、何か見えない力が働き山口に住むことになったのだと思います。その見えない力が「縁」なのかもしれません。 せっかくの「縁」に逆らわず、「縁」を大切にして山口での生活を送っていきたいと思っています。 これから私が出会うであろう皆様とは、良き「縁」で繋がっていると信じて自分の使命を全うしていきたいと思っています。 そうすることで、遠くでいくらか寂しい思いをしている両親もきっと喜んでくれると思っています。


病院案内・診療時間

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【住所】
 山口県山口市平井297ー1 (旧クリニック建物裏手)

【診察時間】

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 <午前>月~金 8 : 30~12 : 30  
 <午後>月、火、木、金 14 :30~18 : 00
※木曜日は17:00まで

【休診日】
 水曜午後、土曜午後、日曜、祝日

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